とりあえず、うさぎ多い・・・大久野島に行ってきました
ウサギには癒され、子供たちも大変楽しかった大久野島ですが、私は別の思いで訪れました。ちょっと真面目な話です。
そして、ただのウサギにエサを与えて癒されるという観光地としてしか機能しかない毒ガス島の現状を非常に残念に思いました。
大久野島を知ったきっかけ
大久野島を知ったのは、ウサギがいるからではありませんでした。うさぎはいてもいなくてもいいです。
NHKドキュメンタリ「私は毒ガスをつくった ~大久野島 71年目の告白~」を見て、必ず行かなければならないと思っていました。この番組は平和を考える上で気づきを与えてくれた番組でした。
広島県竹原市大久野島では、第二次世界大戦中、周辺に住む若者たちが動員され、毒ガスが製造された。自らの体が毒ガスに汚染され「被毒者」になった。同時に自分が人を殺める兵器製造に関わる“加害者”だったことに人知れず苦しみ抜いてきた。語り始めた被毒者を訪ね歩き、その声に耳を傾けながら、今なお自責の念を被害者に背負わせ続ける戦争の愚かさを見つめていく。
NHKネットクラブ 番組詳細(フェイス「私は毒ガスをつくった ~大久野島 71年目の告白~」)
大久野島という地図から抹消された島で、国際条例で禁止された毒ガスを秘密裏に製造していました。
イペリットやルイサイトなどの猛毒の毒ガスを製造していましたが、実際に作業している地元の人たちや勤労学生は、何を作っているか知らされなかったようです。血を吐いたりする作業員を見て何となくヤバいものだとは分かっていたようですが。
防護服も隙間だらけで、よく毒ガスが入ってくることがあったようです。また、ルイサイトなどは猛毒であるので、少し触れただけでもだえ苦しむほどの激痛だったそうです。
そういった、極めて危険な毒ガスがはいった容器を大量に荷台に乗せて、島の峠を勤労奉仕の女学生たちが運んだそうです。
そして、毒ガス島で製造された毒ガスは、実際に中国で大量に使用されて被害が発生したそうです。
平和を考える上で衝撃だった気づき
番組では、実際に毒ガスを作っていた人たちが、自分たちの加害者として過ちを反省し、実際に中国に謝罪に行くといったものだったかと思います。
何を作っていたか知らされておらず、強制的に作らされていたにもかかわらず、自分たちが加害者だと考えているわけです。
責任がなかったのに、負う必要のない責任を負うということを選んだ元作業員の方々。この選択には驚かされました。
原爆など、被害を受けた側が被害の程度をアピールして、この被害が二度と発生しないように発信するという「被害者主体の平和」こそが、平和活動だと考えていた自分の足りなさに気づきました。
真逆の発想です、「加害者主体の平和」という主体の逆転が起きたのです。
国対国で考えると、加害者主体の平和活動は、一方的に過ちを認めるものなので、賠償責任などの問題で、認めにくいものです。
しかし、今後の平和を考える上では「加害者主体の平和」というものがますます重要になるのではないでしょうか。
大久野島の現状
そんなことを考えて大久野島を訪れたわけですが、毒ガスに関する部分がウサギのパワーにかき消されているように感じます。
毒ガス史料館はありますが、おまけのような扱いに感じました。
これほどの平和を考える課題があるにも関わらず、問いかけが弱いです。ウサギうさぎという問いかけしか聞こえてこない気がします。ネガティブな毒ガスの悲しい歴史を消したい気持ちも分かります。
毒ガス製造に使用された陶磁器、多くは分解されて海などに廃棄処分されたそうなので大変貴重なものですが。
置き場所!これウサギが中に住んでますよ。これが平和と言えなくもないですが。
慰霊碑もさみしそうです。折り鶴が分解して散乱しています。
人がたくさん訪れるようになって大変良いことなのですが、戦争を二度と繰り返さないために、平和の発信基地としてもっとアピールする道はないものでしょうか。